東京高等裁判所 昭和62年(う)1149号 判決 1988年7月13日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中二八〇日を原判決の刑に算入する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人村上昭夫及び同山口元彦共同作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官佐藤克作成名義の答弁書のとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、原判示第一の事実に関し、被害者Aの死因は「頸部への鈍的外力により惹起された急性窒息である」とみられ、Aに対し死因となる鈍的外力が加えられたのは、被告人が原審相被告人Bとともに加えた暴行が終了し両名の間の共犯関係が解消し、被告人が犯行現場であるB方を立ち去った後のことであって、被告人にはAの死の結果について責任を負わせることができないのに、原判決は、証拠の評価を誤って、被告人がB方を立ち去った後にはAに対し暴行が加えられていないものと事実を誤認し、被告人に対し傷害致死の共同正犯としての責任を負わせているのであるから、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで原審記録を調査検討し、当審における事実取調の結果を合わせ考えるに、被告人がB方を立ち去った後にBがAに対し暴行を加えた可能性のあることは所論指摘のとおりであり、原判決がこの点判示第一の事実摘示において実行行為の分担につき明示していないためいずれの認定をしたかは明確でないものの、「量刑の理由」の項の説示からは否定的な判断をしていることが窺えるが、仮にBが被告人の立ち去った後にAに対し暴行を加え、その暴行が直接に同人の死の結果を惹起したものとしても、原判決が同じく「量刑の理由」の項で説示しているように、Bが暴行を加えた時点において被告人とBとの間の共犯関係は解消していなかった、いいかえると被告人が共犯関係から離脱していなかったと認められるので、右の点の事実認定の誤りは判決に影響を及ぼすものではないというべきである。すなわち、原判決挙示の各証拠によれば、原判示第一の事実は、Aに対し暴行を加えた時刻が午前三時三〇分ころから被告人がB方を立ち去った後を含む午前五時過ぎころまでと認められる点を除き、原判示のとおりと認めることができ、全体としての事実の認定に誤りはないということができる。所論に鑑み、以上に補足説明をする。
まず、被告人がB方を立ち去った後にBがAに対し暴行を加えたかどうかみるに、原判示第一の犯行当時B方に居合わせた者の一人であるCは、捜査段階において、司法警察員に対し、同女においてはB方二階で階下の騒がしい様子を窺っていたが、被告人が「おれ帰る」と言って玄関から出て行く音を聞いた後、下に降りて一階八畳間の様子をのぞいて見たところ、Aが石油ストーブの前あたりに両足を長く伸ばした形で座り、その前にBが白木の木刀を右手に握って立っていたが、側に居た同女の父DがAに話しかけ、同人がこれに対し元気のない声で「うるせえなあ」と答えるや、Bが「この野郎、まだシメ足りないか」と怒鳴りながら木刀の先でAの顔の辺りをドーンと突き、更にそのため後ろに引っ繰り返り頭を石油ストーブにぶつけた同人の腰を右足で一回蹴飛ばしていたなどと供述している(Cの司法警察員に対する供述調書抄本)。そして、Cの右供述は、内容が具体的であるうえ、その際の全体的な状況に照らして不自然なものでないこと、供述した時期が昭和六一年七月二〇日であって、捜査も未だ初期の段階にあり、捜査官の方から押し付けた内容とも窺われないこと、Cとしては被告人を特に庇い立てする必要はなく、かえってBの機嫌を損ねると同女やその父であるDにも危害の及ぶおそれがあったこと、被告人及びBがいずれも同月一八日に勾留されたうえ接見等も禁止されていて、Cが右のような供述をするにあたり被告人らと打ち合わせのできる状況になかったことなどに照らし、それ自体として右供述の信用性が肯定できるもののように考えられる。もっとも、B自身は、捜査段階及び原審公判廷において被告人の立ち去った後にAに対し暴行を加えたことはないと述べ、また、Bの愛人で本件当時Bと同居していたEも、司法警察員に対する供述調書中及び原審公判廷における証言中でBの供述に符合する供述をしており、更に、Dの原審公判廷における証言も、Cの右供述と完全に一致するものではない。加えて、Cも原審公判廷において証人として尋問を受けたが、その際はBが被告人の立ち去った後に暴行を加えていたかどうかについて、「わからないです。」「よく憶えてないです。」などと述べるのみである。しかし、Bの供述やEの供述は、全体的にBに不利にならないように述べていることが窺われ、全面的に信用できるものではない。Cの証言も、同女の司法警察員に対する前記供述と完全に矛盾するものではないが、それはさておくとしても、Bとの前示のような関係に照らし、同人の面前で同人に不利になるようなことが述べられない状況にあったことも明らかであり、その意味で右証言の信用性には疑問がある。してみると、Cの司法警察員に対する前記供述については、これが捜査段階で一回だけ同女の述べたものであり、Bを含めその場に居合わせた他の者らにおいてはこれと相異なる供述をしている状況にあるものの、そうしたことからCの右供述の信用性を完全に否定することはできないというべきである。したがって、本件においては、同女の供述するように、被告人がB方を立ち去った後にBがAに対しその顔を木刀で突くなどの暴行を加えた可能性のあることが否定できない。いいかえると、Bが右のような暴行を加えたことがないと認定するにはなお合理的な疑いが残るというほかなく、その限りにおいては所論指摘のとおりである。
ところで、Aの死因については、関係各証拠によれば、頸部への鈍的外力により惹起された窒息であると認められるが、頸部に鈍的外力が加えられてから窒息死に至る経過としては、外力が加えられた結果喉頭粘膜や声帯に浮腫が生じ、そのため気道を著しく狭窄ないし閉塞するに至って一定時間経過後に窒息死する場合と、頸部の迷走神経反射により喉頭痙攣を生じ、急激に窒息死する場合とが考えられ、本件において、死体が死後五か月余り地中に埋められてかなり腐敗が進んでいたこともあって、死体の状態からはそのいずれの場合にあたるかは不明である(なお、左甲状軟骨左上角に骨折が見られるが、この骨折そのものが直接の死因ではなく、その際折れた骨等が気管を塞いで窒息死させるに至ったりしたものでないことは明らかである。)。ただ、関係各証拠によると、被告人やBがAに暴行を加えることを終えたのは遅くとも午前五時過ぎころ、すなわち、Bが被告人の立ち去った後にAに暴行を加えたという前提に立ってもそのころまでのことであったと認められ、また、B、D、E及びCの各供述によれば、被告人やBの暴行が終わった後、EやCがBの指図でAに着替えさせてやったり一階一〇畳間に敷いた布団に寝かせてやったりした際、Aはまだ生きていたことが窺われ、更に、右各供述中には午前七時半ころにも同人が生存している様子であった旨述べるものもある。してみると、Aが死亡したのは、被告人やBが暴行を加えてからある程度時間が経過した後であった可能性が大きく、その意味で死に至る経過も、喉頭粘膜等に浮腫が生じたため気道が狭窄ないし閉塞するに至って窒息死したというものであった可能性が大きいと認められる。そして、関係各証拠によると、被告人がB方から立ち去る以前にBと二人でこもごもAに対し加えた暴行は、一時間ないし一時間半にわたり、同人の顔面を手拳で殴打したりしたほか、被告人らがそれぞれに竹刀を持って、同人の背部や顔面を滅多打ちし、また、頭部や首付近を殴り付け、更には、木刀で頭部や背部を殴ったり、首のあたりを横に払ったり、あるいは木刀の先端部を同人の顎の辺りに押しつけてぐいぐい突いたりし、そのため同人の顔全体を赤黒く腫れ上がらせ、口付近から出血させるなどしたものであったことが認められるので、このような暴行の程度、態様などに照らし、これらの暴行のうちのいずれかが、あるいはその幾つかが相重なってAの頸部に鈍的な外力として作用して死の結果を惹起したものと考えるのが最も合理的である。ただ、前示のように被告人が立ち去った後にBがAに対しCの述べるような態様の暴行、すなわちAの顔の辺りを木刀の先で一回突くという暴行を加えた可能性があり、右態様と前示の死因とを合わせ考えると、右暴行によって同人に死の結果をもたらした可能性のあることも否定することができない。すなわち、Aの死の結果は被告人がB方を立ち去る前に被告人及びBがこもごも加えた暴行によって生じたものと断定するにはなお合理的な疑いが残るのである。
ひるがえって、原判決挙示の各証拠によれば、被告人とBとがB方一階八畳間においてAに対しこもごも暴行を加えたのは、被告人とBとの間の共謀に基づくものであることは、原判示第一に認定判示したとおりである。すなわち、被告人及びBは、当夜のAとともに赴いた飲食店内における同人の態度に腹を立て、同人をB方へ連れて来て、その反抗的な態度を難詰して謝ることを強く促したものの、Aがなおも反抗的な態度を取ったことから、激昂し、その場において被告人とBとの間で意思相通じて、いわゆる制裁としてAの身体に暴行を加えることの共謀を遂げたうえ、同人に対し、前示のような暴行を加えたことが明らかである。してみると、Aの死亡の結果が、被告人がB方を立ち去る前に被告人及びBがこもごも加えた暴行によって生じたものとすれば、その暴行が被告人及びBのいずれが加えたものであっても、被告人が共同正犯として傷害致死の責任を負うべきことは当然である。
これに対し、被告人がB方を立ち去った後にBが加えた暴行によってAの死亡の結果が生じたものとすると、所論は、Bが暴行を加えた際には被告人とBとの間の共犯関係が解消しているので、被告人にAの死の結果について共同正犯としての責任を負わせることはできないと主張している。しかしながら、本件のように二人以上の者が他人に暴行を加えることを共謀し、かつ、共同してこもごも被害者に暴行を加えたようなときに、共犯者の一人あるいは一部の者の離脱ないし共犯関係の解消が認められるのは、離脱しようとした者がまず自己において被害者に暴行を加えることを止め、かつ、自分にはもはや共謀に基づいて暴行を加える意思がなくなったこと、すなわち共犯関係から離脱する意思のあることを他の共犯者らに知らせるとともに、他の共犯者らに対してもこれ以上暴行を加えないことを求めて、現に加えている暴行を止めさせたうえ、以後は自分を含め共犯者の誰もが当初の共謀に基づく暴行を継続することのない状態を作り出している場合に限られ、このような場合でなければ、仮に共犯者の一人が自分としては共犯関係から離脱する意思を抱いて自ら暴行を加えることを止めたとしても、その後に他の共犯者らのいずれかが引き続いて暴行を加え、その結果被害者が死亡するに至ったときには、離脱しようとした者を含め共犯者全員が傷害致死の共同正犯として責任を負わなければならないものと考えられる。そして、本件の場合、関係各証拠によれば、被告人は、B方を立ち去る少し前ころ、AとDを並ばせてそれぞれの頭部を木刀で軽く叩き、謝罪する趣旨のことを言わせたことは窺えるものの、その際、Bを始めその場に居る者らに対し自分としてはAに対しこれ以上制裁を加えることを止めるという趣旨のことを告げたりしてはおらず、また、B方を立ち去るにあたっても、玄関先で「おれ帰る」などと言っただけで、Bに対し、以後はAに暴行を加えることを止めるよう求めたり、同人を寝かせてやって欲しい、あるいは病院に連れて言って欲しいなどと頼んだりしていないことが明らかである。更に、被告人が、それまでAに暴行を加えていた場所すなわち一階八畳間から出て行った時、同室内の様子は、Aがその場に座ったままであり、Bも同室から立ち出ず、暴行を加えるのに用いた竹刀(但し、途中で壊れている。)や木刀も同室内に置かれているなど、それまでとほとんど変わらない状況であったことが認められる。また一方、Bが被告人の立ち去った後にAに暴行を加えたことが認められるものとすれば、Cの司法警察員に対する前記供述中で、Bが右暴行を加えるにあたり、Aに向かって、「まだシメ足りないか」などと怒鳴っていたことが述べられており、したがって、Bがその際Aに加えた暴行は、それまで被告人とともにいわゆる制裁として同人に加えて来ていた暴行と一体をなすものと認められるべきものである。そうすると、被告人においては、B方を立ち去る際、自分の気持としてはこれでBとともにAに対し暴行を加えることは終わったつもりでいたとしても、本件の場合、前示のような共犯関係からの離脱ないし共犯関係の解消の認められる事情が存在せず、ないしは、離脱あるいは解消したといいうるような状態に達していなかったものというほかなく、したがって、被告人がB方を立ち去った後に、Bが、被告人とともにそれまでAに加えていた制裁をなおも引き続いて加える意思で、同人に対し加えた暴行については、被告人も、Bと共犯関係にあるものというべきである。すなわち、Aの死亡の結果が被告人の立ち去った後にBの加えた暴行によって生じたとしても、被告人は共同正犯として傷害致死の責任を負わなければならないと考えられるのである。
以上のとおりであるから、被告人がB方を立ち去った後にBがAに対し暴行を加えた事実が所論指摘のとおり認められるという前提に立っても、被告人がBと共謀してAに暴行を加え、その結果Aを死に至らせたものと認定判示した原判決は、結論において正当であり、判決に影響を及ぼすような事実認定の誤りはないというべきである。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中二八〇日を原判決の刑に算入し、刑訴法一八一条一項本文により当審における訴訟費用は被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官船田三雄 裁判官松本時夫 裁判官山田公一)